そがひろしの碁盤 ― 技法・美学・芸術的ヴィジョン
- artsan

- Feb 24
- 5 min read
Updated: 4 days ago
そがひろしの工房に展示されている作品の一つには、囲碁の対局がさりげなくマルフラージュされている。この囲碁の存在は彼の制作においては例外的でありながら、その芸術実践全体を貫く構築の論理を照らし出すものである。それは、技法・美学・そして芸術家としてのヴィジョンを同時に理解するための比喩を与えている。
作品制作の前と同様に、囲碁の対局の始まりには何もない。ただ十九本の縦線と十九本の横線があり、三百六十一の交点を形づくるのみである。プレイヤーはその交点に石を置く。黒、そして白。そこから領域が生まれ、境界が定まり、構築が始まる。一つ一つの着手は相手への応答であり、同時に問いでもある。こうして対局は閉じられ終局へと向かう。囲碁とは石による対話であり、共存し、境界を認め、最終的に空間を調和的に分かち合う営みなのである。

古代中国では、盤の四角は安定した大地を、十九の線は世界の織物を、三百六十一の交点は昼と夜を、丸い石は動く天を象徴した。囲碁を打つにはまず碁盤が必要である。作品を制作するにあたり、そがひろしもまた自らの碁盤を作ることから始めるのではないだろうか。
彼はまず木製パネルに絹を貼り付ける。続いて下地の色を施し、湿気が繊維に浸透するにつれて微妙な色調が現れてくる。その後、顔料の層を重ね、張られた細い紐の網目によって表面を補強する。最後に、糊状のノーズを塗った和紙を重ねることで、下層の色と形がゆっくりと拡散し、素材の奥から浮かび上がる。
この段階から作品固有の平面が形成される。そこには線、緊張、奥行きが現れる。それは榧の碁盤に格子が刻まれる瞬間にも似ている。中国において宇宙論であったものが、日本では空間の現象学へと変わる。碁盤はもはや天地を表す象徴ではなく、「間(ま)」という関係が展開する生きた場となる。交点は固定された点ではなく、可能性が生まれる呼吸の瞬間となる。
こうして、そがひろしは自らの「碁盤」を得る。空白が働く静かな表面である。コラージュや筆致の一つ一つが沈黙を存在へと変えていく。彼は古い布や印刷物の断片を貼り始める。それらの慎ましい身振りは、囲碁において隅を占めてから中央へ向かう最初の一手を思わせる。加えられるたびに均衡が動き、空白が広がり、また縮まる。
手の圧力が表面を定着させる。石を補強する打ち手のように、素材と色が安定する。再び張られる細い紐が画面を複数の部分へと分ける。しかしそれらの線は単なる境界ではない。そがひろしは次のように述べている。「それらは外へ伸びる触角のようであり、あるいは作品内部の血管や神経のようにエネルギーを循環させる。」
囲碁の打ち手は、危うい領域を安全な場所へつなぐ石の連なりを思い浮かべるだろう。この生命線が囲碁の美を生み出す。呼吸のような静かな緊張、動きが関係へと変わる場である。身振りは身振りに応え、色は互いに調整される。絵画は成熟した対局のように進み、征服ではなく正しさを求める一手が重ねられていく。
この瞬間について、そがひろしは次のように説明している。「この構造の中で単位を定義し、色を重ね、紙片を貼る。それぞれの単位は探求と接続の行為となる。」さらに彼は次のように述べている。「それらの境界は天(ten, 天)と地(chi, 地)の接点のようであり、そこにはエネルギーが流れている。」

領域は触れ合い応答し合い、緊張は関係の空間の中で均衡を保つ。これが「間」であり、空白が働く生きた間隔である。囲碁においても、間を保つ打ち手は埋め尽くすのではなく生成させる。集団は密度によってではなく、間隔の質によって生きる。空白は不在ではなく関係であり、対局のリズムの中で絶えず調整される。
最後に、そがひろしは作品を庭に吊るし、その下に空間を残す。そがひろしはこう語る。「制作は決して完成しない。」この閉じない姿勢は彼の仕事の論理そのものであり、囲碁でもすべての終局手を打つことは稀である。最後の石を置くことは調和を壊してしまう。静かな場が残り、すべてがなお振動し続ける。
さらに、そがひろしは次のように書いている。「風(kaze, 風)や雨(ame, 雨)が形を変えるなら、それも受け入れる。」偶然はパートナーとなり、自然(shizen, 自然)は共演者となる。「不完全さを受け入れ、変化を迎え、未完を認める。」こうして絵画は成立する。
絵画の真実は、一つの身振りの勝利ではなく、手と素材と世界のあいだに共有される呼吸の均衡にある。完成していながら開かれた対局のように、空気(kūki, 空気)の中で生きている。
この宙づりの時間の中で意味が生まれる。そがひろしは次のように述べている。「それぞれの単位は独立しているが、完全に分離しているわけではない。互いに触れ合い、影響し合い、共鳴している。」
青、黄、赤、黒、白の大きな色面は、そがひろしにおいて世界の把握となる。彼はエンペドクレスの思想に触発された芸術的実践について語る。世界の根源的要素は彼の絵画では色として現れる。空間の現象学は再び宇宙論となる。美学、技法、そしてヴィジョンはここで結びつく。すべては連関している。
作品は層による仕事の結果として現れ、それぞれの身振りが前の記憶を保つ。囲碁の決定的な一手もまた蓄積の論理から生まれる。芸術と囲碁は同じ原理を共有する。積む(tsumu)――重ね、蓄え、層を築くこと。何も一度に起こらず、すべては段階的に築かれる。
そがひろしの芸術では、この論理が明確に現れる。絹、紐、和紙、顔料。重ねられた身振りの帰結として作品は定着する。正面性はない。対立もない。
囲碁では勝敗が生まれるが、絵画には勝者も敗者もない。そがひろしは支配せず、構築する。領域を占めるのではなく、空間を生起させる。対立なき強度としての「積む」である。
だからこそ作品は庭に吊るされ、風と雨と偶然と観る者に委ねられるのである。









Comments